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プラハ・ブルノ・ウィーン東欧建築の旅 テルチ・ブルノ編
4月15日 プラハ→テルチ→ブルノ

この日は何と言っても、ブルノにあるミースの「トゥーゲンハット邸」が最大の目玉だが、その前にプラハ郊外のジャン・ヌーベルデザインの商業施設を見学、そしてブルノまでの通り道にある世界遺産、テルチの街を観光し、夕方ブルノのトゥーゲンハット邸へというスケジュール。


PRAHA Andel:by Jean Nouvel  1997

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まずは、フランスの建築家ジャン・ヌーベルの作品「プラハ・アンデル」。
Andelというのはチェコ語の天使。地下鉄の最寄駅「アンデル駅」にあやかっての命名らしい。

さらにジャン・ヌーベルは映画監督のヴィム・ヴェンダースと友達で、彼の代表作「ベルリン天使の歌」が天使の物語であることから(私は見ていないので詳しくは語れませんが)、登場人物の天使ダミエル(俳優:ブルーノ・ガンツ)の姿を、丸みを帯びたコーナーのガラス面に、大きなシルクスクリーンで表現している↓

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コーナー部のガラスの壁一面に、人間の天使、ブルーノ・ガンツの姿が宿っているのがおわかりでしょうか。



そして一行は一路テルチの町へ。

<Telč テルチ>

プラハとウィーンのほぼ中間、ボヘミア=モラヴィア高地に位置するテルチは、「モラヴィアの真珠」と称えられる町。12世紀に築かれた町は1530年の大火で焼失したが、町の再建を決意した市長ザハリアーシュの呼びかけに市民が協力し、ルネッサンス様式と初期バロック様式の建物が再建され、中世の町並みが今も残る世界遺産の歴史地区。

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ザハリアーシュ広場。建物はすべてルネッサンス様式と初期バロック様式。
天気がいま一つだったのがちょっと残念。


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上の三つの写真とも「スグラフィット技法」で建物に絵のような装飾を施してある。これは左官によるコテ仕上げの一種で、二重に塗った色違いの漆喰の上塗部を削り取ることで様々な模様を描いたもの。この装飾はテルチに限らずプラハなどでもよく見かけた。


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広場の向こうはテルチ城とイエズス教会。


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建物の1階部分はすべてアーチ型のアーケードとなっており、様々なお店が軒を並べている。


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広場にある噴水のマリア像。


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テルチ城とその前庭。


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この日のお昼は、ザハリアーシュ広場にあるこのホテルのパティスリーで、スウィーツランチ。


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カプチーノとケーキで結構お腹一杯になったところで、いよいよブルノへ。



<Bruno ブルノ>

Villa STAISNNY by Ernst Wiesner, 1927-29

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エントランス


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エルンスト・ヴィースネルの「ヴィラ・スティアスニー」は当地では最大の邸宅で、トゥーゲンハット邸のオーナー・トゥーゲンハット氏が当時、自邸建設の参考にと見学に来たが、彼はヴィーズネルに頼まずミースを選んだ。「スティアスニー」の様式がかった大振りなつくりは、ミースの「Less is more」の美学には遠く及ばないからだ....と建築ジャーナリストの淵上正幸さんがブログでおっしゃっているように(淵上さんすみません、ブログから拝借しました)、20世紀の巨匠ミースは、やはり役者が数枚上なのだ。


Hotel Avion  by Bohuslav Fuchs,  1928
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Bank of Moravia  by Bohuslav Fuchs & Ernst Wiesner, 1928~30
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上の写真2つは、チェコの代表的建築家であるフックスの機能主義建築



そしてついに到着しましたトゥーゲンハット邸

トゥーゲンハット邸は、シカゴで見たファンズワース邸よりも前の作品であり、ミースの機能主義的建築物として、完成当時はモダニズム建築にとっての一種のアイコン的存在であった。その後ナチスの迫害を恐れたトゥーゲンハット一家は、スイスへと移住し、この邸宅は戦争中はドイツ人に、そして戦後はロシア人に占領され、その間に大いに荒らされたという。

その後、チェコスロバキアの国有となり、歴史的文化財の指定を受けて修復が始まったが、冷戦下のチェコスロバキアにとってオリジナルの高級材を調達することは至難の業であったようだ。
1992年にチェコとスロバキアが分離独立を決めた際に、調印式が行われた歴史的場所でもある。
2001年、ユネスコの世界遺産に登録。

Tugendhat Residence by Ludwig Mies van der Rohe 1928~1930
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手前の白い椅子がこの邸宅のためにミースがデザインした「トゥーゲンハットチェア」。真ん中のガラスのテーブルも「トゥーゲンハットテーブル」(バルセロナコーヒーテーブルと呼ばれることもある)として、現在もポピュラーな作品だ。向こう側の緑色の椅子は、1929年のバルセロナ万国博覧会の際、スペイン王国夫妻臨席の為に作られたバルセロナチェア。


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上の赤茶色の椅子は、トゥーゲンハット邸のためにデザインされた椅子の中でもっとも有名な「ブルーノチェア」


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この白い椅子は、ブルノチェアのフラットバーの代わりにステンレスのパイプを使った「チューブラチェア」。私も黒い革張りのものを一つ持っています(私のはknoll社製ですが)


これでチェコ編は終わりです。

やはり、トゥーゲンハット邸は素晴らしかったです。かなりの豪邸で、随所に贅を尽くしてあるわけですが、ディテールの一つ一つがシンプルでカッコイイんです。あの時代にそれをやったミースは、やはり天才です。そしてシカゴのファンズワース邸は彼が行きついた、Less is moreの最終形ですね。  



次回はウィーン編となりますが、ウィーンでは何といっても、完成後間もない時期に宿泊できて超ラッキーだったホテル、Sofitel Vienna Stephansdom by Jean Nouvel, 2011 をはじめ、新旧織り交ぜて素晴らしい建築が目白押しですので、しばし...お待ち下さい。
| デザイン紀行 | 11:06 | comments(0) | trackbacks(0)
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