Active Feeling

ACTIVE DESIGNの日常やその時に感じたことなどを書いていきたいと思います。
<< 名古屋そして高山に行ってきました | main | 高山うまいもの >>
ぶらり高山
高山の町は、東に乗鞍岳、南に御嶽山、西に白山、北には立山と東西南北を山に囲まれた盆地にあり、南北に流れる宮川を中心に、碁盤の目のような町並みと、江戸時代以来の城下町・商家町の姿が保全されている景観が京都に似ているところから「飛騨の小京都」とも呼ばれています。


2011-09-07miyagawa.jpg
宮川にかかる橋には、色々なオブジェがあって、この足長の像は、足に触ると足の調子が良くなり、手に触ると手先が器用になるなどの言い伝えがあるそうです。


2011-09-07asaichi1.jpg
こちらは、宮川沿いに開かれている朝市。


2011-09-07asaichi3.jpg
食料品から土産物まで何でも売っている朝市では、地元のおばちゃんたちの方言が飛び交っていて活気があります。

2011-09-07asaichi2.jpg
このおばちゃんが売っているのは、1本60円のみたらしだんご。醤油のみで味付けされた甘くないおだんごが高山の定番です。醤油の香ばしい香りにさそわれて1本いただきました。


2011-09-07sarubobo.jpg
朝市でもマスコットみたいなやつをたくさん売ってあった高山の人気キャラクター「さるぼぼ」は「猿の赤ん坊」という意味です。災いが去る(猿)、家内円(猿)満になるなど、縁起の良い物とされ、その昔子供が産まれたときの御守として、玩具の代わりに与えられたそうです。



こちらは宮川沿いの朝市からほど近いところにある、日下部民芸館。
2011-09-07kusakabeminngeikan1.jpg

その昔、織田・豊臣・徳川氏の家臣であった金森長近は、関ヶ原の戦いで功績を収め、初代高山藩主となる。長近は京都に習って市街地を碁盤目状に作り、東山に寺を集め、侍屋敷・職人町を作り、現在の町の原形をつくりました。
しかしその後金森氏は国替えとなり、飛騨は徳川幕府直轄の「天領」となり、それ以降、高山は町人の町として栄えることになります。

その時代に、この日下部家は幕府(代官所)の御用商人として栄えた商家で、屋号を「谷屋」といいました。

2011-09-07kusakabeminngeikan2.jpg
当時の建物は明治8年の大火で焼失し、4年後の明治12年に名工・川尻治助によって再建されたのが現在の建物です。母屋は切妻造の2階建てで、総檜造り。江戸時代の建築様式を今に伝える民家として、昭和41年に国の重要文化財に指定され、以後民芸館として一般に公開されています。



2011-09-07kusakabeminngeikan3.jpg
約21cm角の大黒柱と長さ18mもの梁がつくりだすダイナミックな空間構成が、高山の町家建築の最大の特徴ですが、それは、江戸時代に設けられていた軒の高さの制限が明治維新とともに撤廃され、飛騨の匠が持ち前の技を存分に発揮できるようになってから誕生したのだそうです。


2011-09-07kusakabeminngeikan4.jpg
台所の横の囲炉裏。どこもここも広々としていて、さすが豪商の邸宅という感じ。けれどお役所とは違う、商人ならではの活気があったのだろうと想像できます。


2011-09-07kusakabeminngeikan5.jpg
中庭に面した本座敷。


2011-09-07kusakabeminngeikan6.jpg
文庫蔵と呼ばれる土蔵。
現在はここに各種民芸品、工芸品約5000点が展示されています。


2011-09-07kusakabeminngeikan7.jpg
中庭に面した土間には休憩所が設けてあり、ここで冷たい麦茶と塩せんべいをサービスしていただきました。




かわってこちらはお代官や郡代が政治を行った役所である「高山陣屋」。

高山が幕府の直轄地になって以来、明治維新までの177年間に25人の代官・郡代が江戸から派遣され、幕府直轄領の行政・警察などの政務を執り行った。このときに使われていた御役所、郡代役宅、御蔵等を併せて「高山陣屋」と呼んでいます。

幕末には全国に60数ヵ所あったと言われている郡代・代官所ですが、当時の建物が残っているのはこの高山陣屋だけだそうです。

2011-09-07jinya5.jpg
この写真では分かりにくいですが、奥の入口に下がっている垂れ幕には江戸幕府の直轄地であった証の「徳川葵」の紋があります。あ、手前の提灯にもありましたね。


2011-09-07jinya3.jpg
玄関の間
身分の高い者専用の玄関の間の壁には、徳川将軍家にのみ許された青色の青海波文様が描かれています。また床には、花もちが飾られていました。そういえば京都の俵屋でもお正月に必ず花もちを飾るようですが、あちらは柳の枝に花餅をつけていたと思います。

お役所といえども、さすがは徳川直轄のお屋敷。なかなか雅やかです。



2011-09-07jinya2.jpg
ウサギをモチーフにした釘隠し。広く民衆の声を聞けるようにという意味が込められているそうです。高山陣屋の各所でみられました。


2011-09-07jinya6.jpg
御役所(おんやくしょ)
江戸から派遣された代官・郡代たちが勤務した場所。
その奥は後用場(ごようば)といって、地元採用の職員が事務を執った。


2011-09-07jinya13.jpg
湯呑所(ゆのみじょ)
今でいう給湯室。役人に出す湯茶の準備をした場所。


2011-09-07jinya12.jpg
台所
郡代の生活の場である役宅にあり、郡代とその家族の食事をつくった。


2011-09-07jinya4.jpg
大岡越前や鬼平犯科帳でもおなじみの、お白州。
雪深い土地柄らしく、屋内に設置されているのかと思いきや、ウィキペディアで調べると、もともとお白州は屋内の土間に砂利を敷いて用いていたらしく、時代劇などに見られる屋外の砂利敷のお白洲は史実とは異なるのだそうです。

ちなみに真ん中に置いてあるのが「責め台」でその右が「責め石」。

2011-09-07jinya9.jpg
三角の角材を並べた責め台の上に正座させられ、一枚約40kgの責め石を4枚も...

佐藤健の人切り以蔵を思いだします。


2011-09-07jinya15.jpg
御蔵(おんくら)
年貢米を保管していた土蔵。
もともと高山城三之丸にあった西棟・東棟の米蔵2棟を、1695年(元禄8年)に陣屋に移築したもの。現在残っている西棟は、現存する日本最古の米蔵であり、江戸時代の米蔵として国内最大級である。西棟の内部はさらに8つの蔵に分かれており、一蔵あたりに2,000俵の米俵が格納できる。
莫大な量の年貢米が集められていたこの大きな御蔵は、江戸当時の天領を統治していた高山郡代の権力の大きさを物語っているという。

2011-09-07jinya11.jpg


長くなりましたので今日はこの辺で。

次回は高山のおいしいものについて書きたいと思います。 









| デザイン紀行 | 13:30 | comments(0) | trackbacks(0)
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。
トラックバック
CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< August 2020 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
LINKS
PROFILE